わがこころのアーリーモーニング 八方尾根 

八方尾根ひとり合宿
 今回の合宿の目的は正月に入ったスキースクールの内容をもう少し掘り下げて学ぶために特別講習として不定期に開講されているエキスパート大回りとエキスパート小回りの受講と、週末に開催された営業開始前のリーゼンを滑るアーリーモーニングに参加するためにひと月ぶりに再び白馬へ行った。合宿と言っても合宿のように滑るだけで基本はひとりである。
エキス大とエキス小
 八方尾根スキースクールには常設と呼ばれる予約なしで受講できるコースと特別講習として様々な種目別プログラムが設定されている。今回入ったのはエキスパートショートターンSPと、エキスパートロングターンSP。SAJ1級以上が対象となっており、ヘルメット着用をお勧めしますとwebサイトに出ているので、さぞ飛ばしたりするのだと思っていたが、その逆でカービンターンに本来必要なターン前半のエッジングとずらし方、乗る位置などをプルークなどを使って徹底的にたたき込むというものであった。カービンスキーが普及してから誰もが簡単に曲がれるようになったけれど、その上を目指すにはやっぱり基礎の基礎から正確にやらないとその上には進めないということだ。
 ロングターンでは、板の一番シナルくるぶしへの荷重を谷足の金具を外した状態から踏み込むという動作でプルークで滑ることなどを繰り返し、徹底的に基礎を固めて行く方法で滑りを改善して行く内容だった。ロングターンをしたのは最後の1本程度。でも受講してから乗る位置が少し改善されたか、太ももの負担が減って楽に滑れるようになった。
 ショートターンはターン前半のエッジングに加えて、上半身と下半身の動きの連動や山側の板の先行動作を徹底的に行い、こちらも最終的にショートターンと言えるもので滑ったのは1,2本だったが、角付けをしない、後半にスピード制御をしない滑りを練習した。どちらのコースも「エキスパート」という名前がついているのでいかにも高速カービンターンの練習であるように想像していたが、実際にはそれを実現するための内容だった。講習の日程表に省略名称として「エキス大」「エキス小」と書かれているが、凝縮されたエキスの詰まったものだった。今後、このエキスを噛みしめて滑りたいと思う。エキス大のS指導員、エキス小のA指導員に感謝。
美しすぎたアーリーモーニング
 八方尾根のサービスとしてリフト営業前に会員登録すれば無料(その日のリフト券は必要)で1時間、リーゼンを滑らせていただける企画で、以前から参加したいと思っていた。6時から6時25分が受付なので、宿を5時50分に出る。あたりはまだまっ暗で星も奇麗だ。まっ暗の中スキーを担いで出かけるが、ナイターと違って名木山に続く道は誰も歩いていないし本道に静かである。こんな時間から来る人はいないだろうなと思ってゲレンデが近付くとリフト乗り場に照明が・・・。もう50人は集まっている。
早速、携帯でバーコードをかざして受付を済まし列に並ぶ。いわゆる「スキー○○」の集まりである。
 6時25分で受付が終了になると暗いうちから滑ってきたパトロールのお姉さんからコース状況の説明と注意があって、6時半丁度にリフトが始動。いよいよである。土曜日の参加者は約150人。名木山トリプルは全員が降りたところで停止して、あとは参加者が好きなだけリーゼンクワッドを使って滑る。


先頭はスクールの指導員がペースメーカーとして滑り、抜かすことは禁止。最初は一斉に滑り出したので少し混み合った感じだったが次第にばらけて、7時過ぎになると1枚のバーンに2,3人程度で、時にはマイコース状態。奇麗に圧雪された平面のコースは足への負担も少なく、ほとんどの人がノンストップで滑り降りる。私も結構飛ばしていたが、高速道路でポルシェに抜かれるような感じで滑降して行く人もいた。自分はこけないまでもヘルメットは必須である。2本目くらいで日の出を見ながらカッ飛ぶ事になって、思わず声が上がるほど感動的なゲレンデだった。その美しさと、この贅沢な環境を作り出してくださる、圧雪の裏方さん、索道関係者、パトロール、スクール、事務局の人の努力の美しさは忘れることはないだろう。土日共に最高だった。ああ、また来年も参加してみたい。

 
ひとり合宿はほんとの合宿に

 私の泊った宿は今回で3回目。「あたらしや旅館」という名木山ゲレンデから歩いて5分程のところにある老舗で日本の民宿発症の地でもある。最初は知人に教えてもらい、温泉もあることで決めたのだが3回目にして初めてこの宿が八方尾根スキースクールと深い関係にあることを知った。あたらしやのwebページにもその事は書かれてないので、あまりオープンにされていないのかも知れないが、ちょっともったいない様な気がする。実は正月にスクールに入った時にたまたま担当だったMJ指導員は、この旅館の息子さんだったのだ。常連のお客さんに聞くと父上の若旦那は一昨年までスクールの副校長をされていた。初日にスクールから帰ると「今日は担当誰でした?」と若旦那に聴かれて、名前をよくご存知だったので何かヘンだなぁと思っていたが・・。
 昔、この宿で居候をしていたAさんが私の様に1人で来ていたので、次の日から空いた時間は一緒に滑る事になり、その次の日にはその友人のKさんやあたらしやのスタッフのR子さん、1人で来ていたYさんたちと合流して、5、6人で滑ったりした。年齢層は低くないが基本的にみんなうまいし熱心なので、急に練習は合宿状態となり充実した時間を送った。
30年ぶりに恩師と滑る
 最終日は中学の時の担任のY先生が長野に移住されて以前から、八方でスキーの時は声をかけろと言われていたのでゲレンデで待ち合わせをした。その先生、私の中学時代既に1級を持たれていて、当時準指を目指されていたが、随分前に指導員も取られたらしい。あいにくその日は雲が降りて視界が良くなかったが、滑りやすいところを捜して上へ行ったり下へ行ったりして、それなりに楽しんだ。
 当時、Y先生は平日もスキーに行くから授業を他の日に振り替えてもらっていたが、今の中学ではそんなことをすると問題になるかもしれない。でも生徒から見れば好きな事を真剣にやっている姿はそれだけで魅力的なのだが、時代は変わってしまった。
 午後に入ってもしかしたらと思って、黒菱を目指したら2時から3時の間だけ日が差してきた。不思議な事に兎平も黒菱から下も雲の中だったらしい。ラッキーとはこの事で、平日で空いている上にさらに空いており、黒菱のクワッドがマイリフト状態であった。先生はもうすぐ64才になられるそうだが、リフトから降りたらすぐにノンストップで滑ったり、暴走と言いながらしっかり滑られてまだまだ現役だった。私もまだ15年はがっちり滑れるのではないかと確信が得られた。
 先生は蕎麦打ちの会があると3時半ころに帰られたので、私は兎平のFor Tuneでカントを見てもらうことにした。やっぱり少しだけズレがあったので直してもらうことにした。15分ほどで出来て再度サーモグラフで確認して微調整をしてもらい完成。膝を前に曲げると真っすぐと前に出せるので、これでフラットに荷重できる様になったと思う。今までだと前傾するとエッジングしてしまっていたことになる。直してもらってからリフト終了まであまり時間がなかったのでその効果はこれから検証したい。ゲレンデが空いていることと、一緒に滑った人たちのおかげて充実した4日間だった。

田中敦子 – もうひとつの具体 / Another GUTAI: Atsuko Tanaka 日本語, English, French from Ufer! Art Documentary
The Japanese artistic group known as Gutai had a international impact from the late 1950s to the early 1970s. According to American artist Allan Kaprow, Gutai was the precursor of the Happening. Through French art critic Michel Tapie, the movement had close relations with the Informel artists.
Atsuko Tanaka (born in Osaka in 1932) was one of the founding members of Gutai and continues to work today on her contemplative paintings at her atelier in Nara. She is the creator of the “Electric Dress”, one of the masterpieces of this century.
This profile bears witness to her bold and unrestrained creativity, along with the hardship she faces in everyday life.

Directed by Aomi Okabe
1998 / 45min.

The 6th International Biennial of Films on Art Centre Georges Pompidou, in Paris
The 17th International Festival of Films on Art in Montreal

This video program for private use (Home use) only.
We have a library version and a collection version.
https://www.ufer.co.jp/order/english.html

20世紀が生んだ名作『電気服』の作家、田中敦子の40年以上にわたる作家活動を振り返る。「具体」は、アメリカのアラン・カプローによって、ハプニングの先駆者と評価され、またフランスの評論家ミシェル・タピエとの出会いを通して、アンフォルメルの作家たちと親交を深めて国際的な活動を行った。初期の「具体」のメンバーとして出発した田中敦子(1932年~2005年、大阪生れ)は、奈良明日香のアトリエで思索に満ちた絵画制作を続けていた。その自由で大胆な創作活動の日々を追う。本作品では、平面作品の制作風景を初めて公開するほか、キュレーターやギャラリスト、アーティストのインタビュー、また50年代から60年代に撮影された貴重な当時の活動の記録写真や8ミリフィルムなどを交えて、作家田中敦子に迫る。

監督・岡部あおみ
1998年/45分
第6回ポンピドゥーセンター国際芸術映像ビエンナーレ
第17回モントリオール国際芸術映画祭参加作品Vimeo on demandでの販売、レンタルは個人視聴(ホームユース)に限ります。図書館、学校授業、ビデオライブラリー等で公開されます場合はライブラリー版をご購入いただく必要があります。詳しくは下記ページをご覧下さい。
http://www.ufer.co.jp/education/index.html

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